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『丕緒の鳥』十二国記
 『丕緒の鳥』を読みました。久々の十二国記です。
以下はネタばれ含むのでお嫌な方はスルーしてください。


正直泣かされるとは思いませんでした。
短編集なのにすごくシリアスで深かったです。

まず表題の丕緒の鳥。

真面目な陶工職人の主人公が真剣に悩んで、民衆の苦しみを分かってほしいと王様に訴えかけるためにわざと血の色を撒き散らす鳥を作って御前に披露したりするエピソードがあります。
王様はご覧になって「なぜこんな惨いものを」と言うだけでした。

意図が伝わらなくてがっかりする主人公に私はとても共感してしまいました。
そうなんですよね、普通の人は陰惨な作品をみて「ひどいなー」「グロいなー」くらいにしか思わないものですよ。

でも芸術家にとっては人の心に訴えかけようとすると陰惨な場面を作るのは避けて通れないんですね。夜闇の中でこそ星が輝くように、悲しさや苦しさを知ってこそ希望や情の温かさを実感できるものなんです。
そんな主人公の想いが、新しい王様に認められる物語最後のシーンはホロリとしました。

あと、落照の獄というお話について。

この話では死刑の是非について議論がされます。
主人公は裁判官で残忍な殺人犯の刑罰を決めなくてはいけない。
被害者の家族も主人公の妻も皆感情的に「人殺しで危険な男だから死刑が妥当、殺しても殺したりないくらい」だと主張するのですね。そしてその主張を裏付けるように殺人犯の男も悔い改める様子は微塵も見られない。

けれど主人公は悩みます。

安易に死刑にしてしまってよいのだろうか?
この決断がもとで他の裁判も死刑が簡単に決まるようになって、
無実の人が殺されるかもしれない。
そもそも死刑にするということは、
どんなに正義のためと言い繕っても人殺しではなかろうか。

悩む主人公は最後に殺人犯の男と会話して結論を出します。
殺人犯の男は「死刑にするならすればよい。俺は人間の屑で獣なんだろう。」とせせら笑い、その様子に無念の想いを持って主人公は死刑を決定しました。
なぜ主人公は無念だったのか、それはこのお話を実際に読んでみてください。

私はこれを読んで、このお話は「ヘイトスピーチ」をしているような人達にこそ読んでほしいなと思いました。最近日本でも路上で「ヘイトスピーチ」をする人達が現れているようです。悪い意味で国際化してますね。

外国人や罪を犯した人達を安易に批判するのは、その人達を理解しようとせずに世界から切り離そうとしているということです。
なるほど、汚いものや都合の悪いものをゴミ箱に放り込んで投げ捨てれば、その時は丸く収まるでしょう。でもそれで本当にすべてが上手くゆくのでしょうか。

昔、わたしたちは幼い頃「自分が嫌だと思うことは他人にしてはいけない。自分がしてほしいと思ってることをしてあげなさい。」と教わりました。
決して間違っていないのですが、国際化の時代に合わせて付け加えておきたいことがひとつ。

それは、
「自分が嫌だ」と思っていること=(イコール)「他人が嫌だ」と思っていること、
「自分が良い」と思っていること=(イコール)「他人が良い」と思っていること、
では無いのだということ。

これだけ国際化&格差社会で色々違う環境で育ってきているんです。
良かれと思ってしてあげたことが本当にその人にとって良いことだとは限りません。良いと思ってしてあげたことがその人に受け入れられないと、つい、相手の育ちが悪いとか常識知らずだとか「自分が正しい、相手が自分と違うから駄目なのだ」と思ってしまいます。

コミュニケーションって難しいですね。

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